らいごうばしら/来迎柱
仏堂において仏像を安置する位置の付近にある丸柱。須弥壇の四隅にある。らいもん/雷文
屈折線より成る模様。図はその一例なり。
らかんぱく/羅漢柏
「ひば」をみよ。らち/埒
囲の最も粗末にして低くかつ隙間の粗いもの。らっくうけ/ラック受け
ピニオンギヤ・ラック式の梶取装置を持つ四輪屋台にみられる木製部材で、ラックを吊るす(正確にはラックを滑らかに スライドさせるためのケースを固定する)ため、あるいは、梶取り用の歯車装置を 支持するために存在する。昔の屋台の梶取用歯車には鉄製ケースがないものも多く、ラック受けは必須であったが、 最近の梶取用歯車には鉄製ケースを設けることが殆どであり、ラックは鉄製ケースから吊るすことができるため、 ラック受けは不要になることがある。らでん/螺鈿
漆塗りの手法(装飾法)のひとつで、漆塗りの表面に光沢のある貝殻を模様型に切って はめこんだもの。螺鈿 ⇒ 真珠光沢を持つ貝殻で装飾すること。
右は黒蝶貝(クロチョウガイ)の貝殻による縁葛の螺鈿。
らもん/羅文
立蔀、板垣などの上に斜めに交叉した細い木を菱形に組んだもの。られつ/羅列
書きつらねること。取り上げること。
平成24年8月現在製作中の平成25年4月現在製作途中になっている、お引き渡し先が決まってない一層大唐破風屋台について羅列します。
(ホームページの構成として優雅でないのは承知ですが…)
おかげ様でお引き渡し先が決まりました。
私は屋台のない町に育ち、子供の頃は肩身が狭く寂しい思いをしました。
自分の町に屋台があれば、祭りをもっと身近に感じることができたと思います。
高級な材料を使わなくても、きちんと造りさえすれば、いつまでも大切に使ってもらえる。
どこかの町で引き廻しされることを信じて、出来合いの屋台を製作中です。
この屋台は子供たちの信頼関係を育くみ、地域を支えてゆく若者たちの元気になります。
姿図
一層大唐破風造り。梶取り装置付きで(四輪固定式に変更も可能)、組みほぐしの出来る屋台です。
柱の間口4尺8寸、屋根の幅270p×屋根の長さ387p、提灯掛け上端までの高さ約450p。
屋台としての本義を備えていますが、腰組物などを充実させることも容易です。
彫刻は良いものを少しずつ段階的に増やしていくことが望ましいと考えます。
屋台としての本義を備えていますが、腰組物などを充実させることも容易です。
彫刻は良いものを少しずつ段階的に増やしていくことが望ましいと考えます。
製作状況
屋根の仮組状況。提灯掛け有り。
屋根に上るための開口部有り。
鬼板と懸魚は、仮のものです(寸法形状があってない)。
垂木の数は(7本+24本+24本+7本)×4=248本。桔木有り。
二重土台有り。車持ち土台はこれから行う仮組作業が終わってから入れます。
土台の上に載せていた屋根を解体して片付けたところです。この状態から柱を組み立てていきます。
土台の上に載せていた屋根を解体して片付けたところです。この状態から柱を組み立てていきます。
腰虹梁と小壁板。柱はこいであります(床部分から上を細く加工すること)。
腰固めボルトを入れてから、土台に柱を落としこみます。
柱を落として駒寄せを取り付けました。手前に見えるのは高欄。
腰組子、縁葛、縁板、天井板、床板、上虹梁、上組子、そして脇障子を取り付けました。
高欄と丸桁、抽斗を取り付けました。肘掛けがないので舞台が広く使えます。大土台の後部は梁が入れられるように
伸ばしてありますが通常の長さで切ることもできます。都合により仮組み作業は区切りとしました。
(2012年9月18日撮影)
この新しい屋台は、地域の祭りを子々孫々に伝えてゆくことを使命としています。
伝承技法により作られていますので、破損朽損があった場合でも部材を交換することにより、
いつまでも変わらぬ姿かたちを維持できます。
(2012年11月19日 2013年4月1日現在も、ほぐした(解体)状態で保管しています。お問い合わせください)
らん/乱
不揃いなこと。乱継ぎとは継手が一直線上に集まらないこと。らん/鸞
(彫刻)中国伝来「この鳥が現れると天下安寧となる」と伝えられる。組み合わせ は松と牡丹が多いが、桐は用いられたことはないらしい。鳳凰に類似。らんかん/欄干
欄とは竪の木、干とは手摺のこと。屋台の高欄(勾欄)も同じ意味。らんぐい/乱杭
水勢を殺くため河中へ不規則に打ちたる杭。らんま/欄間
天井と鴨居または内法長押の間に採光と通風、または装飾のために設けられた開口部で、 小障子、組子、竹、板などを嵌め込む。らんまのへんせん/欄間の変遷
page14 引用 〜(3)鎌倉時代
和様
前代の継承(?)で「菱格子」・「吹寄菱格子」が寺院建築に於いては先ず普通。 神社建築では正面上部の狭いところに唐草模様の透彫を入れたりする。 末期になると、時に可なり込み入った複雑なものもあるにはあるが、それとても 何れも極めて平面的図案的である上に左右相稱で、原始的なものである。
天竺様
未詳。多くは飛貫と頭貫との間、窓も欄間とも見える空隙に、平たい薄い板を 「小間返」に打ったのがあった。つまり「無双窓」の様なもので、開閉の設備の ないものである。つまり連子窓の「連子子」が平たい板からできていると見れば よろしいので、換言すれば、やはり連子窓に他ならないのである。醍醐寺経蔵 にあったから天竺様とも思えるが、唐様建築にもあるから、それでははっきりしない。
唐様
謂わゆる「弓欄間」・「浪連子」で、これも亦「小間返」が普通であるが、 時には間が大変に広くあいているのがないでもない(梅田釈迦堂(和歌山県 海草群加茂村大字梅田))
(4)室町時代
和様
寺院建築に於いては、主として「菱格子」又は「吹寄菱格子」だが、寺院建築では 「盲連子に散文様」・「透彫」----例えば牡丹唐草・桐唐草・笹籠膽唐草等---- 等で漸く手は込んでくるが、やはり平面的たるは免れない。 但し極く末期になると、少しく厚みを増し、従って唐草文様に於いては 華も太く葉も肉質となり、花等は可なり発達をして次時代の肥厚欄間の もとをなしてくる。又絵画的にも発達す。
天竺様
未詳。
唐様
前代同様。
(5)桃山・江戸時代
和様
当代様式は打破されたが、欄間のみはそうではなかったらしい。 即ち「弓欄間」は依然唐様建築に用いられたまで、和様には殆ど例を見ない、 と同時に唐様建築に浪連子以外まものが用いられたかどうかはこれも亦 実例はない様である。菱格子の少し変化複雑となった「松皮菱」・ 「華狭間」・「亀甲文」・「筬欄間」(オサランマ、細かい格子のようなもの)・ 「雲文」・「散圓文」・「中心を通る線に水平には上下、垂直には左右相称の透彫」 ・「絵画的雄大なる透彫」等。これらのうち「筬欄間」は勿論、「松皮菱」。 「花狭間」・「亀甲文」は木片を組み合わせたものだから別だが、透彫のものは 総て薄い板を用いてあり、これらは鎌倉時代よりの継承式である。
〜 引用終わり
(天沼俊一著 成虫樓随筆 続続 国立国会図書館デジタルコレクション)
左右相稱=左右相称(左右対称のこと)・小間返(こまがえし)・連子子(れんじこ) ・盲連子に散文様(めくられんじにちらしもんよう)) ・笹籠膽(ささりんどう)=笹龍胆=笹竜胆・漸く(ようやく) ・散圓文=散円文・總て=総て(たばねる意味のすべて)
らんまぶち/欄間縁
欄間周りの縁木。らんじゃたい/蘭奢待
正倉院の中倉に伝世する香木、公式名称==黄熟香(おうじゆくこう)のこと。 聖武天皇が中国からもたらされた香木に命名した。1200年昔の沈水香木であり、室町時代に流行した「六十一種名香」の筆頭に「法隆寺」、「東大寺」(蘭奢待のこと) の名が挙げられている。蘭奢待という文字の中の「蘭」には「東」、「奢」には「大」、「侍」には「寺」 という文字があることから東大寺」の名が隠されていることがわかる。ちなみに黄熟香に蘭奢待の名が付されたのも室町時代のことである。 同名の日本酒も存在した。
香木には、白檀をはじめとする栽培することが可能な檀香(だんこう)と、 栽培が不可能な沈水香(じんすいこう)の二種類があり、香道で用いるのは原則として沈水香のみ。 沈水香のうち特に上質なものを伽南香(きなんこう==ベトナムではキーナム)、伽羅木といい、官能的な香りがするという。
足利義政、織田信長らがこの沈水香を切り取った。 なお、蘭奢待の原木の大きさは156cm×40s(ウキベディアの記述では11.6s) 、信長は3cm×3cm×3cmの塊を2つ切り取っている。(1回の香で使用する香木は3o×3o×1.5oなので、約4000回分に相当する量)
徳川美術館には、二千数百種の家康以来の沈水香木や、蒔絵香棚や蒔絵十種香箱や香炉や蒔絵伽羅割道具などが保管されている
→「白檀」も参照