た
大工の符牒。六のこと。たいいんれき/太陰暦
昔は月の満ち欠けで月日を数えた。周期は29.530589日、ゆえに昔の暦の一ヶ月は29日か30日であり、 二月だけが短いということはなかった。だいかまち/大框
だいきちはきょうにかえる/大吉は凶に還る
吉の過ぎたるは凶に近としとの意。たいきばんせい/大器晩成
大なる才器は速に成就せざるものなりとの意。だいきり/台切
野角の両端を切取ることをいう。切取る部分を「鼻切」という。だいきりおが/台切大鋸
二人遣いの木挽き用大鋸にして長さ二尺二寸余幅一尺程。だいく/大工
家屋などの建築に従事する職人で、番匠とか匠とか呼ばれました。 家大工(やだいく)のほか、寺社の建築にあたる宮大工、船を作る船大工に分かれます。 昔、高名な大工が人手が足りないので藁人形に魂を入れて手伝わせ、用が済み 川に流したところ河童になったとか。だいくとすずめはのきでなく/大工と雀は軒で泣く
日本建築の屋根や軒の付近には軒反りという曲線が用いられ、破風の反りと調和して 美しい外観を示している。本格的な建築には二軒が多く用いられ、地垂木、飛檐垂木の 鼻を横に木負、茅負が連ねられる。垂木の方向により、平行垂木、扇垂木があり、 扇垂木ともなれば垂木の曲がりや形状が一本ごとに異なり、大工は軒の仕事で苦心したのである。だいくのかわながれでのみながし/大工の川流れで鑿流し
鑿流し→飲みながし の洒落。だいくのそろばんにわりきれぬはなし/大工の算盤に割り切れぬはなし
建築の設計に算盤を用いるならば、牢敷(江戸時代に囚人などを収容した施設のこと)を 生じさせるなり。だいくのにょうぼうのゆうげしょう/大工の女房の夕化粧
大工は夕暮れに家に帰る。だいくびんぼう、ひやといこじき/大工貧乏、日雇乞食
日雇い大工は生活が苦しい。たいこう/大閣
愚人をいう。江戸の遊民の語。たいこうぶしん/大閣普請
急速に造りあげたる建物をいう。たいこうぼう/太公望
左は小池佐太郎の毛筆画習作。 手本にしたと思われる絵は 国立国会図書館デジタルコレクション『萬物雛形画譜』 の 2 に収載されています。たいこおとし/太鼓落
丸太などの仕口の局部を釿で荒削りすること。だいこく/大黒 1
左は小池佐太郎の毛筆画習作。 手本にしたと思われる絵は 国立国会図書館デジタルコレクション『萬物雛形画譜』 の 4 に収載されています。だいこく/大黒 2
左は小池佐太郎の毛筆画習作。 手本にしたと思われる絵は 国立国会図書館デジタルコレクション『萬物雛形画譜』 の 1 に収載されています。だいこくてん/大黒天
左は小池佐太郎の毛筆画習作。手本にしたと思われる絵は 国立国会図書館デジタルコレクション『萬物雛形画譜』 の 4 に収載されています。 (手本の絵に米俵と小判はナシ)
だいこく/大黒
笑い顔で頭巾をかぶり大きな袋と打ち出の小槌をもって米俵の上に乗っている。 五穀豊穣、商売繁盛、招福開運の福の神。父が大黒を彫っているのを見たことが あるし祖父の家にもあった。地方において大黒は恵比寿と並ぶめでたい神様。 大黒の原型はインドの忿怒神・戦闘神・夜叉神で、大黒天と呼ばれるいわれは 色が黒かったため、あるいは武神マハーカーラの意訳といわれる。 大黒の使いは白ネズミ。だいこく/大黒
僧侶の隠し妻のこと。「子まつりの義を取るなるべし」(子(ネズミ=大黒)と寝をかけている)。だいこくのくそをわぎりにしたよう/大黒の糞を輪切りにしたよう
昔、そうゆう諺があったとか。意味は不明。だいこくのしりにみそ/大黒の尻に味噌
「長者の脛に味噌を塗る」に同じ。有り余る上に物を加えること。だいこくばしら/大黒柱
建物の中心に建る柱。 従来の日本家屋は地震の配慮から家の重みを一本の心柱に集めるように作られている場合が多く、その柱の片方に土間の厨房が配置され、厨房には大黒天がまつられていた。家を支える心柱もまつられて大黒柱と呼ばれるようになったらしい。一家の柱石たるべき人のこと。
だいこくさま/大黒さま
出雲神話の「因幡の白兎」に登場する大黒さまは、大国主命(おおくにぬしのみこと)のこと。だいこくてん/大黒天
マハーカーラという古代インド暗黒の神。仏教を守護する戦闘神。富貴の神。 もともと髑髏の首飾りをつけ剣を持つ姿であったが、唐代の中国では厨房の神となり、柱などにまつられるようになり、鎧は着ているものの、右手に袋を持ち左手に宝棒を持つ姿となり表情も柔和なった。鎌倉時代に日本へ伝わり大国主神(命)と習合し、穀物の神、田の神とみなされるようになる。南北朝の時代には豊作や経済的利益を生む福の神になり、にこやかな表情になる。また、彫刻には鼠がつきものであるが、大黒天をまつって夜更かしをする「甲子待」とも関連し、「子」を鼠に当てはめ「子(寝)祭り」、生殖行為の意味を匂わせてもいる。→きのえまち・甲子待 彫刻=滋賀・金剛輪寺「大黒天半か像」平安時代たいこだい/太鼓台
太鼓の形状と太鼓を打つ高さに合せてケヤキ材で製作。
左の写真は、太鼓を水平に置く形。
小太鼓の台/小太鼓を三つ並べるための枠
太鼓の寸法によって異なりますが、この図のものは 間口約5尺、材料は太鼓固定用の棒を除いて桧の無地役物、固定棒は欅です。 図は上から見たところ、側面、正面、背面。
大太鼓の台
太鼓を傾斜させて置き、太鼓台の柱に転びを持たせた形。
たいこばめ/太鼓羽目
両面板張の羽目をいう。たいこばり/太鼓張
戸又は間仕切り等の両側に紙又は板などを張った場合をいう。だいこん/大根
大根は「当たらない=食あたりしない」薬効があることから、大根役者のように使われているが、彫刻のモチーフに用いられている大根(二股大根)は、その神聖性から大黒天に結びつき、さらには打出の小槌や白鼠から、米俵が表す豊作などを予告している。技芸の稚拙な俳優を罵って言う言葉。シロウト。
だいこんとにょうぼうはぬすまれるほどよい/大根と女房は盗まれる程よい
よいから盗まれるという意味。たいこをたたく/太鼓を叩く
人に調子を合わせて、相槌を打つこと。太鼓を打ちて囃したつる意より起る。だいざ/台座
entablement 像や塔や灯篭などの基部となるもの。だいしかく/大四角
押四寸五分角のこと。だいしちいじょう/大七以上
2014.12.14浜松まつり会館に明治5年建造と伝えられる参野町さんの屋台が搬入されました。本日から常設展示となります。
参野町の津毛利神社は旧濱名郡芳川村の郷社。底、中、上綿津見神、底、中、上筒之男神を祭神とし、 稲荷神社、荒祭神社、三社宮を合祀する神社です。
この屋台の土台の側面には「免税」「大七以上」の焼印と、公印と思しき印があります。
明治8年布告の車税規則によれば、たとえば二頭立ての馬車なら一年に三円、荷積みの大八車なら一円が課税されることになっていました。
しかし、条件によっては免税されることもあり、そのときは免除の印を焼記しなさい、というルールがありました。
参野町さんの屋台には、この烙印が押されているわけですから、少なくとも、この車税規則が通用していた時代の屋台であるということの証になります。
ちなみに「大七以上」とは、荷積大七中小車区別のうち、〜 車税規則中荷車の儀は荷室の縦横相乗尺積14坪以上を 以て大七車以上〜 という記述があるので、このことじゃないのかと。
たいしゃづくり/大社造
島根県大社町に所在する出雲大社に見られる木殿形式。現在の本殿は延享元年(1744)の 造営で高さ八丈(24m)、正面二間、側面二間、切妻造り、妻入りで、正面、背面の中央の柱は珍柱と呼ばれ、壁真にではなく、梁持柱のように少し外ではみだしている。 拝殿は本殿の南にあり神座は西を向いているが、一般の人が見渡せるのは南からで あるから神座の横顔を拝む格好になる。やはり古い様式である伊勢神宮や住吉大社に あっては神座と参拝者は直視している。 出雲大社の言い伝え(「口遊」くちずさみ970年)によると中古には十六丈(48m)の高さが あったと言われていたが(東大寺大仏殿(金堂)は十五丈(45mあるいは47.5m))、根拠としては弱かった。しかし、 2000年に大社本殿南の地下より、平安時代後半のものと判断される直径1.3mの杉の 丸太3本を束ねた柱と穴が発見されたことから、俄然現実味を帯びてきたということである。→ほかに神明造り、住吉造り、春日造り、流れ造りがある。たいじょう/大乗
「乗」とは迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶ乗り物のこと。 大乗(他人を利益することを主眼として仏陀の知恵の完成実現) ⇔ 小乗(自己の人格完成を理想)たいしょうばしら/大将柱
芝居の大臣柱に同じ。たいしょくたんめい/大食短命
「腹八合に医者いらず」ともいう。だいじんばしら/大臣柱
能舞台の脇柱をいう。だいす/台子
点茶用の道具を載せる棚。 高さ2尺、幅3尺、奥行き1尺5寸内外。⇒ 弓台(きゅうだい)は脚が2本鎌倉時代、臨済宗の僧、南浦紹明(なんばじょうみょう)が入栄して径山(きんざん)興聖万寿寺から風炉や釜など皆具(かいぐ) 一式とともに持ち帰ったもの。それを筑前の崇福寺に伝え、のちに京都の大徳寺に贈られた。
これを天龍寺の夢窓疎石が点茶に使用したとされ、六代将軍義政の時代には書院茶の台子飾りとなり、八代将軍義政が主導した 東山文化の時代に普及した。のち村田珠光により初めて点茶式法が組み立てられ、武野紹鴎、千利久を経て完成した。
だいた/駄板
棟折に用いる薄い杉板。だいと/大斗/挿し肘木/舟肘木
だいどころ/台所
食物を煮焚きするところ。「くりや」はその別名。だいどころのいたのまにはうちのかかあのかげがうつる/台所の板の間には内の嬶の影がうつる
台所の潔不潔により女房の賢愚を卜するに足る。だいせん/大栓
栓の大きいもの。だいせんかなもの/大栓金物
鐵製の大栓。だいと/大斗
【組物】柱上に設ける斗。柱径と同じかやや大きめの正方形の平面を持つ。斗きょう(木へんに共)の最下にあって斗キョウ全体を受ける最大の斗。 斜めになっている部分は斗の補強。平面は正方形。たいないくぐり/体内潜
中庭などに通行するため廊下等の下に地を掘って作る通路。だいなおしかんな/台直鉋
鉋台の不陸を直すための鉋。台は短く刃は台木に直角をなす。たいのみつどうぐ/鯛の三つ道具
鯛の骨の鋤、鍬、鎌をいう。たいのめ/鯛の目
鯛の眼肉ともいう。最も美味なりという。だいはちぐるま/大八車
輪板の枚数が(縁起がよいとされる)7枚なので「大七車」とも呼ばれています。大八車とは大人八人分の働きをする二輪用の(大きな)車輪のことですが、直径が小さくなると、玉(中心の軸受け部分)に埋め込まれる後光(自転車で言うスポーク)のほぞ同志が干渉するため、強度的な理由から櫛形(輪板)を6枚(ということはスポークが18本に減る)にする必要もでてきます。
だいはんところ/臺盤所
宮中の膳立ての間。略して「臺所」とも称す。たいふう/台風
typhoon,tempest,gale,tornado(英) Taifun(独) 本格には「颱風」。 台風の文字は気象台長の岡田武松博士が使用、それ以前は野分(のわき)を使用。台風の読みが 英独の文字と一致したのは偶然。颱風の文字は滝沢馬琴が発明(初めて使用)。だいぶつ/大仏
大仏と呼ばれる条件は、立像の場合、高さが1丈6尺(4.8メートル)以上、坐像の 場合は、高さ8尺(2.4メートル)以上とされているそうです。大仏が大きいのは 宗教上の理由からで、宇宙仏を表現しているからです。 たとえば、奈良東大寺の大仏はその名を盧舎那仏といい、時間と空間を超越した 宇宙仏、宇宙そのものであり、姿なき存在を表現しています。沈黙のほとけともされるため、 盧舎那仏は自ら説法をすることはありません。 追記>大仏の身長について別の本には、立像の場合、高さが1丈6尺(4.8メートル)、 坐像の場合は、高さ8尺(2.4メートル) というのは、大仏と呼ばれる条件ではなく、経典や儀軌の規則で定められた「丈六像」という 釈迦像の身長であるという記述もありました。だいぶつよう/大仏様
天竺様ともいう。 平安時代末期の1180年、源氏と平氏の戦いで東大寺は平重衡の焼き討ちにあい、その殆どを焼失した。直ちに東大寺の復興が計画されたが責任者となったのは宋に渡った重源であった。 大勧進俊坊重源は、奈良時代の創建当時から巨大で、柱がたわんでしまったり強度不足であったという東大寺をもとのままには復元せず、南中国から移入した建築様式を 取り入れて鎌倉時代の東大寺再建を行った。大仏様では、構造の強化、組物の合理化、材料の規格化が図られ大建築の構法として後世に伝えられたが、全国には広まらず重源亡きあと衰退するが、新しい工法は和様建築で採用され、大仏様は他の様式のなかで生き続けることになった。ちなみに現在の大仏殿(金堂)があるのは、鉄骨トラスによる小屋組の補強など、なりふりかまわずとも思える維持管理のたまものである。大仏殿はほぼ300u高さ47.5b。昭和大修理(1974〜1981)にて屋根瓦11万枚(467dぐらい?)を全て降ろしたところ、瓦の重さを失った屋根は四隅がそれぞれ50p〜1b浮き上がったという。 東大寺南大門、兵庫の浄土寺浄土堂など。 →鎌倉時代には中国の宋より、寺院建築を変貌させたもう一つ「禅宗様」が入ってきた。 →奈良時代の「和様」たいへいづか/大瓶束
入母屋化粧棟木を支えるもの。たいへいづか/大瓶束
横断面円形にして上方に枡形を載せ下方に至るに従い徐々に細くなり梁上に止まる束。その下の梁と接する部分には必ず結綿がある。たいへいびれ/太平鰭
大瓶束の両脇にある鰭。たいぼくのしたにしょうぼくそだつ/大木の下に小木育つ
勢力家の下には、其庇護を受けて利便を得る者多きをいう。たいぼくはかぜにおられる/大木は風に折られる
「高木風に嫉まる/こうぼくかぜにねたまる」に同じ。だいみょうがい/大名買い
商人のいうままに品物を買い取ること。だいみょうぶしん/大名普請
入費をかまわぬ贅沢なる工事をいう。だいめたたみ/代目畳
略して代目ともいう又は大目とも書く。普通の畳の四分の三のもので残りの四分の一は板敷きとなし又は爐を切置くものとする。だいもちつぎ/台持継
下に柱又は桁等のある場合、梁の継手に用いる。だいりせき/大理石
marble 石灰岩の精緻なもの。日本は良質なものを産しない。瑪瑙石(めのういし)と呼ばれていた。だいわ/台輪
平桁(ひらげた)とも云うようです。総て物の上もしくは下にある平たい木にして、上物を支承し、または下物の蓋の意がある。柱及び頭貫の上にあり枡組及び蛙股を載せるものは一例なり。
鳥居の柱上にあり笠木及び島木を支承するものも台輪。
附書院の切断面でその最上及び最下なる横木も台輪。区別するため上台輪下台輪という。
だいわとめ/台輪留
土台等の隅における仕口の一法にして留の一種。たおれかま/倒れ鎌
傾斜せる「下げ釜」をいう。「猿控」の控貫などに用いる仕口の一つなり。たかがしら/鷹頭
筆返の一種の形にして稜角を有すること。たががゆるむ/箍が弛む
桶の輪の弛む意より転じて、老いて才藝の鈍くなるをいう。たかにくぼり/高肉彫
たかべい/高塀
普通の塀よりは高いものをいう。たがね/鏨
鐵などを打切るための道具にして鋼製の鑿形のもの。たかのはし/鷹の嘴
模様の中、嘴のように尖っている部分。たかつき/高坏
食物を盛る脚の付いた平らな台。 下に柱又は桁等のある場合、梁の継手に用いる。たかさご/高砂
「鶴が舞う空の下、老松の下で熊手を持つ翁と、箒を持つ媼が落葉を掃いている。 前景には番の亀」が描かれる図像。「松に熊手と箒」の図柄も同じ意味。 「尉と姥」「松影に帆舟」も高砂を暗示しているという。たかさごのまつ/高砂の松
謡曲「高砂」 〜 高砂やこの浦舟に帆をあげて 〜 のこと。 「高砂」は室町時代の能役者世阿弥元清の作品。 兵庫県高砂市の高砂神社相生の松の前に現れた老夫婦の姿をした「松の精」が 相生の松の来歴を語るという筋書き。長寿祝福、夫婦和合、祝賀、婚礼の席でこれが 歌われる。だき/抱
窓、出入口など開口の見込寸法。たきぎがひをふけばきゃくがくる/薪が火を吹けば客が来る
俗説。たきぎのう/薪能
日本の芸能の多くは伝統的に「松ばやし」の芸能であるという。松に宿る精霊を 松の木と共に迎え、その蘇生をはやし立てることが芸能の本義であったのだと。 今日の薪能は光の演出に重点をおいているが、本来「薪」は「焼木」(たくき)で、 松明は焼木の明かりであって、薪能は焼木の能だという。すなわち、松に宿る精霊の 明かりの芸能。また松明はタイマツではなくマツアカシのことだという。ヒノキは 火を作り出す木であり、マツはその作られた火を保存し継ぎ足すほうに利用された といい。台所で働く女中は本名で呼ばず、お末(オマツ)と呼ぶ地方もあったという。 →松たきぎのう/薪能
〜 芝の能ともいう。往時二月七日より南部興n宸ノ行えり。〜だきつら/抱面
二つの木の相接する面をいう。だきばり/抱梁
挟梁に同じ。だきびかえ/抱控
斜の控柱で上方は本柱に取付くもの。たくばん/「訴」のごんべんではなく木へんの漢字、板
茶庭の寄付待合に吊り下げる厚い板で、客の揃ったことを亭主に知らせるためにこれを打つ。たくみのこころ/匠の心
創意と工夫。たけしょうじ/竹障子
竹製の障子。たけちょう
竹釘に同じ。北越の方言なり。たけのこめん/筍面
床柱の円いときその下部が筍状になること。たけくぎ/竹釘
含竹を削って釘の如くに無したるもの。たけとひとのこころのすぐなのはすくない/竹と人の心の直なのは少い
たけにあぶらをぬったよう/竹に油を塗ったよう
能弁の喩。たけにすずめ/竹に雀
書の取り合わせ。「竹に雀は品よくとまる、とめてとまらぬ色の道」たけにとら/竹に虎
書の取り合わせ。たけにはなさけばきょうねん/竹に花咲けば凶年
唐人の句に餓年竹生花といえり。たけのあき/竹の秋
三月をいう。竹は八月を春とし、三月を秋とすといえり。たけのは/竹の葉
酒をいう。たけのふし/竹の節
脇障子または内法長押の上に設ける欄干の様なもの。たけのふしらんま/竹の節欄間
屋台の脇障子、神社の縁側の突き当たりにある脇障子の上部のこと。×形のデザインになっていることが多い。たけのふたまた/竹の二俣
稀有の喩。「竹の二俣世は不思議」たけひきのこぎり/竹挽鋸
鋸身は薄くかつ幅を狭くして屈折しやすい故冖形の振止を背に取付けてある鋸をいう。たけほがき/竹穂垣
若竹の穂付の儘なるものを束ねて隙間なく作る垣をいう。「葉房垣」に同じ。又「目関垣」ともいう。たけめいた/竹目板
竹にて作りたる目板。たこ/蛸
基礎や地盤を突固めるための道具。硬い円柱形の木に二本の角(引手)が附き、縄を取付け人が上下に付く。 上下を逆にすると杭打ちにも使える。現在はタンパーを使う。たこどうづき/蛸胴突
蛸にて地を突固めること。たそうのとう /多層の塔
三重の塔や五重の塔のことであるけれど、ある決りごとがあるという。 各階の平面は正方形または正多角形。一階だけに仏像が安置されて二階以上は飾り。 最上階の屋根上に九輪(相輪)があること。たたき/敲
敲土にて仕上げたるものをいう。漆塗りなどを剥落して木地を露すことをいう。たたき/三和土
単に土間のこと。土と石灰と苦汁を混ぜたもの(三和土)を塗って叩いて固めた土間のこと。三和土は三種類の材料を使うことから生じた当て字。たたきつち/三和土
石組や池の底を固めるための(セメント発明以前の)固結剤として → 「古語シメという、これに石灰を各一斗加え、油と塩とを各三合混ぜフノリを五合を加えて泉池を作る、更に上等は 之に松脂をいれる」たたきのみ/敲鑿
玄翁などにて頭を打ちて使用する鑿の総称。たたみ/畳
藁が呼吸することで畳が乾燥し、ダニの発生も少なくなる。 畳床がスタイロホームであったり、畳の下に新聞紙・防虫紙を敷いたり、 荒床が合板であると、畳本来の通気性が発揮しない。/藁床が固いもの ほど良品であり、湿気を帯びて乾燥しないと軟弱になる。たたみいし/畳石
茶庭などに使う。⇒ のべだん/展壇たたみのうえのけが/畳の上の怪我
あるべからざる事の喩。たたむ/畳む
用例:「金岡水石を畳むこと妙なり」(石を積むの意)たたみよせ/畳寄
「よせしき」に同じ。たたむ/畳む
各部分の成を合計することをいう。たたらづか/踏鞴束
勾欄の束をいう。当方では平桁と地覆の間の束、「込みたたら」のことを「たたら束」と呼んでいます。 また、平桁を貫通している「通したたら」のことは「ます束」という呼び方をしています。(大工の方言みたいなもの)
たちあがり/立上
勾配の立ち上がる寸法のこと。たつたかわ/龍田川
襖天井などに用いる模様の一つにして流水に紅葉を取り添えたるもの。たっちゅう/塔頭
禅宗寺院で用いられた語だが近世に子院と同義語になった。住持を退職した僧が境内に営んだ退去寮のこと。やがて本寺の僧侶生活が崩れ単なる儀式の場となり独立寺院化していった。名庭や有名な茶室を備えていることも少なくない。たつなみ/立波
筆返しなどの一種の形。たちばなづき/橘月
五月の異名。たちぼとけがいぼとけをつかう/立佛が居佛を使う
立ちたる者の坐せる者を使役するをいう。たちのぼらせばしら/立ち上らせ柱=立て上せ柱
柱の上に組物がのりその上に虹梁や天井がのるのが通常の技法であるが、柱が組物・天井より上までのびて小屋組と組み合っている柱をいう。したがって組物は柱に貼り付けたり、挿し肘木を用いることになる。これにより構造的に有利となり内部に柱を立てず大空間を造ることが容易となる。たちよらばたいぼくのかげ/立ち寄らば大木の蔭
依頼するには勢力のある者を選ぶべし。たつみのもんにいぬいのくら/巽の門に乾の庫
家相において吉方とする位置。「巽井戸に乾倉」の類。たてあいぐち/竪合口
石積みなどにおいて竪目地の口元をいう。たていたにからすみ/竪板に唐墨
漆黒の形容。たてうらいた/竪裏板
屋根裏板を棟より軒に向いて張る場合にいう。たてかわりゅう/立川流
大工の間で立川流・四天王寺流というのは「和様系」、建仁寺流というのは「禅宗様系」のことを言う。 堂宮大工の一派。立川流の祖は「大大和絵様集」などの建築雛形本を著した立川小兵衛であるが、そこへ弟子入りした和四郎が、故郷の諏訪に戻って彫刻を得意とする立川流の名を広めたとされる。たてかまち/竪框
戸又は障子などの雨脇にある木をいう。たてかわら/竪瓦
壁面に張付くべき平き瓦をいう。たてかよいざる/竪通猿
雨戸の上下に取付け昇降して締りをなすための小木。たてがんな/竪鉋
堅い木を削るために用いる鉋。たてぐ/建具
戸、障子、襖、などの総称。たてご/竪子
格子または障子などのたての組子。たてこ/立子
垣や柵を造る場合の構成材料である竹や樹枝を垂直に使用したときの呼び名。竪子、建子。たてこさん/立子桟
木柵の桟を立子はさみとしたもの。たてこしいた/竪腰板
竪板張りの腰板。たてざん/竪桟
戸の竪框に平行な桟。たてしげ/竪繁
障子の組子が縦に細かく入ったもの。たてじとみ/立蔀
細い木を竪横に組んで格子としてその間を板張りとし全體 を衝立のように作り庭先などに設置して見隠しとする。たてず/建図
姿図、起し図、建物の各面を正面から見た図。垂直投影図をいう。たてそめばしら/立初柱
斎柱に同じ。たてぢ/建地
足代、または竹矢来、仮囲等の主なる柱。たてぢわり/建地割
矩計に同じ。たてつぼ/建坪
建物の坪数のこと。たてどい・たてとい/竪樋
垂直なる樋。茶室では、屋根に用いられる雨仕舞の方法のひとつで、 吊り下げたシュロ縄を縦樋の代わりとして用いること。このシュロ縄の編み方を「ちゃちゃぼうず」という。たてどうさん/竪胴桟
扉の竪框の間に取付けた竪の桟。たてふだ/立て札 (お囃子の立札)
屋台の正面高欄に取り付けて使用します。在庫があります。
こうさつ/高札
屋台は平成4年に完成し、浜松市中田島町の浜松まつり会館に常設展示されています。平成17年の浜松まつりでは、まつり会館から出庫、市の中心部を曳き回ししました。たてばめ/竪羽目
竪板張の羽目。たてびし/立菱
縦に長い菱を連ねた模様。たてぶち/建縁
襖などの雨脇にある縁木。たてほぞ/竪ほぞ
敷居を柱に取付けるために端に付けた竪のほぞをいう。たてひごたまがき/竪籤玉垣
図の如き角柵を称す。「角玉垣」ともいう。たてまい/建舞
建物の軸組を建ること。たてまえあししろ/建前足代
柱その他すべて軸部を組み立てるために必要な足代。たてまし/建増
増築に同じ。たてみず/竪水
垂直線をいう。たてめじ/竪目地
石積み又は煉瓦積等において垂直なる接合。「合目地」ともいう。たてもちおくり/竪持送
出より成の方が長い持送。たてもの/建物
建築物に同じ。たてわき/立涌
模様の一種。たに/谷
二つ屋根の合するとき入隅木を掛けるときのこと。たびげた/旅桁
出梁を受ける土居桁上部にあって垂木を受ける母屋状のもの。たまや/玉屋
左は小池佐太郎の毛筆画習作。 手本にしたと思われる絵は 国立国会図書館デジタルコレクション『萬物雛形画譜』 の 1 に収載されています。たまや/霊屋=御霊屋
特定の個人(死者)の霊をまつるための建物。霊屋。霊廟。たまがき/玉垣
神社の周囲に巡らせる木造または石造の垣の総称をいう。斎垣、瑞垣ともいう。 伊勢神宮では、内側から瑞垣、内玉垣、外玉垣、板垣など、幾重にも玉垣を巡らしている。だし/山車
京都の祇園祭など御霊信仰系の夏祭は、祖霊を慰めるための儀礼として行 われていることから、その山車は霊の依代であるといいます。 地方によって楽車(だんじり)、地車などと書くところもあるそうです。だしだい/
朱漆塗りだしげた/出桁
腕木の端に載せた横木。だしちゃ/淹茶
団茶。 唐時代の茶の淹れ方で、日本も上代はこれであった。 蒸した茶葉を臼に入れてつき団子として、甘葛(あまづら)などの 香味を加えてその煎汁を飲用した。たなおろし/棚御
商家にて正月の初めに一年中の売高を勘定し、商品の数を調べるを棚御という。たなかど/棚角
土蔵鉢巻の最外方なる稜をいう。たなじり/棚尻
つき出たる尻をいう。たに/谷
屋根において二つの流の相会する部分。たにうつぼ/谷靭
屋根の谷に用いる特別な瓦にしてその横断面はU字型に類するもの。谷靭瓦の略称。たにかわら/谷瓦
屋根の谷に用いる瓦をいう。たにきり/谷切
石積みにおいて目地の切面をX形すなわち薬研形に加工して畳積みする。たにざん/谷桟
屋根の谷の雨脇に設置する瓦桟。たにめんど/谷面戸
たぬきじる/狸汁
蒟蒻を汁に煮たるをいう。だばさみ/手挟
桁、肘木及び垂木などの如く水平の木と勾配付の木と會する部分の納まりを良くするために取付ける化粧木。だしばり/出梁
小屋束にほぞ差とし桔木枕を受け土居桁で中央を受ける。たしわけ
箕甲。だしやぐら/出櫓
櫓台の面よりは下方に孔を有する部分を出矢狭間という。たすけばり/助梁
入母屋破風の妻虹梁上に大瓶束等を固定するため梁を指母屋 に載せその上に束を建て、大瓶束等をほぞ差鼻栓固めとする。たすき/襷
斜めに線が交わる模様。たすきさん/襷桟
襷形に組んだ桟。だぼ/太
密着して材を接合する際に両方の材に半分づつ埋める長さ2寸幅1寸程度の薄い木片をいう。たほうとう /多宝塔
下層が四角形で上層が円形をした平面に、上層下層とも四角形の軒を持った二重の塔をいう。相輪、宝鎖、風鐸、高欄、連子窓。平安時代頃から空海の真言宗で使われたという。 高野山の根本大塔(こんぽんだいとう)は巨大。 欄干状のもので兜巾(ときん)型の頂部を持つ束を立て、この束に二個所節状の繰型(節あるいは篠という)をつけ、この節の位置に横木(玉縁、無目、寄木などともいう)を渡し、 この間に交差する筋交い(襷・たすき)を入れたもの。たま/玉
大八車の車軸にあたる部分で、樹種はケヤキです。直径と長さの比率は1:1が基本ですが、長さ方向を微妙に長くすると均整がとれて美しく見えるそうです。たまいし/玉石
「まるいし」に同じ。基礎や玉石詰みに用いる。 石質は問わないが花崗岩、安山岩、チャートで直径15〜30p。河石よりも海石は丸みが強く使いにくい。たまごにげんのう/卵に玄翁
玄翁は金槌の一種。たまざ/珠座
擬宝珠柱又は露盤などの宝珠下の部分をいう。「珠台」とも称す。たまじゃり/玉砂利
古代の王宮の造りに倣って寺社建築の前庭に装飾と清めを兼ねて敷かれるようになった。たまぶち/玉縁
竹の節の襷の上下にある横木をいう。その横断面は矩形。だまり
悪質なる木材をいう。たまがき/玉垣
神社の周りや駒寄の前などに設ける垣をいう。 作り方により板玉垣、角玉垣、黒木の玉垣、大隔子玉垣、角隔子玉垣、筋違隔子玉垣、竪ひご玉垣等の名称あり。 高欄は上に雨桁を葺く。たまもく/玉杢
渦巻きの如き綺紋より成る木理をいう。たもん/多門
城の周囲にある長屋造りの建物。「こうらいもん」。たらのきにもかかるはよいぞ/たらの木にもかかるはよいぞ
鵲木踏(タラノキ)の如き棘のある木でも、たよらざるよりはよしの意。 (刺が多くて鵲(カササギ)も木に止まることができないことから、タラノキのことを鵲不踏(ジャクフトウ)というとのこと)たーる/タール
黒色粘液にして木鐵等の防腐剤としてもちいる。たるき/・垂木
軒桁母屋棟木に架けた屋根を支えるための構造材。 屋根の下地に打たれる野垂木と、化粧に見える化粧垂木とがある。化粧垂木は、和様では平行垂木(軒の線に対して垂直)、禅宗様では放射状に配する扇垂木、大仏様では隅だけに放射に打つ隅扇垂木になっている。配列の密度によって疎らな疎垂木、密な繁垂木がある。 軒を見上げた時に垂木が上下に二段、三段と並んでいる場合があるが、それぞれ一軒(ひとのき)、二軒(ふたのき)、三軒(みつのき)という。二軒の場合、二段構えになっている下の方を地垂木(ぢだるき)、上の方を飛檐垂木という。→(かやおい/茅負) 画像(No.37)たるきかけ/垂木掛
差掛屋根、又は庇の屋根等において垂木の上端を支承するために取付けた横木。たるきがた/垂木形
片流れ又は雨流れの屋根における妻に取り付けた板にして、垂木に平行するもの。たるきだけ/垂木竹
茅葺屋根などにおいて竹の垂木を「垂木竹」という。その上にある「簀竹」にして下にあるのは「家中竹」。たるきわり/垂木割
垂木の配置をいう。垂木間の廣狭により、本繁割、半繁割、吹寄割、あばら割すなわちまばら割の四種に区別する。たるのくち/樽の口
懸魚の中央の六葉の上にある垂木様のもの。だるま/達磨 1
左は小池佐太郎の毛筆画習作。 手本にしたと思われる絵は 国立国会図書館デジタルコレクション『萬物雛形画譜』 の 4 に収載されています。だるま2/達磨 2
左は小池佐太郎の毛筆画習作。 手本にしたと思われる絵は 国立国会図書館デジタルコレクション『萬物雛形画譜』 の 2 に収載されています。だるま3/達磨 3 (浮世絵 政信図)
左の絵を描いた祖父は、私に対しては優しくて面白い人でした。 ウイットに富み、ユーモアが好きだったのではないかと。 下の画像は、おそらく手本となった絵、奥村政信「達磨和足の道中」です。(宮武外骨 編 浮世絵鑑. 第2巻 奥村政信画譜 国立国会図書館デジタルコレクション)
後日、判明しました。 手本にしたと思われる絵は 国立国会図書館デジタルコレクション『萬物雛形画譜』 の 5 に収載されています。
検索中に面白い絵を発見。鈴木春信「達磨と相合傘」。
(野口米次郎著 春信 国立国会図書館デジタルコレクション)
ほかに、葛飾北雲筆 美人件達磨図、京都帝室博物館編 浮世絵聚英 : 京都帝室博物館特別展覧 国立国会図書館デジタルコレクションも意味深です。